予測という妄想
yoshiki
2014-09-02
真剣に毎日を考えるが、当然そこには「予測」と言うものがある。
で、この「予測」
考えようによっては「妄想」になってしまう。
スタートは「予測」でも途中から「妄想」にかわることは年中。
が、今は「妄想」をしている暇はない。
予測→仮説→実行(作業)
でいうところの実行(作業)をしている為、妄想をしていたらすすまない。
今は深夜帰宅の為家には寝るだけに帰っている。とても晩酌をしながら
妄想にふけるというおいしい時間を楽しむこともない。
お互いに妄想を話あって、お互いに「むずかしい問題だよね」と言い合い最後に「カンパ―イ」
とお酒が進む。なんてのはたまらないだろう(どこの誰の話?)
この予測と称した妄想(?)に取り付かれたら大変。気が付かないうちに
10年から20年などあっという間に過ぎてしまう。
予測(妄想・乾杯)→仮説→実行
上図(?)のように乾杯で止まってしまっては、仮説に行けない。
だって予測と称した自分中心の妄想に酔っていては仮説が立てられない。
妄想している段階で満足してしまいますから。乾杯までして(してるの?)
で煩わしいのは、実行(作業)をしている人に乾杯が終わった人たちは、
実行している人をネタに、今行っている作業がいかに難しいかを勝手に
予測(妄想)をしてくださり乾杯までしてくれる(だからどこの誰の話?)
今の作業が成功するかどうか。それ自体はそんなに問題じゃない。
大事なのは、自分で決めて自分で実行し結果を出すこと。
いや~、今日はタイトルと記事が初めて?かな外れなかったのは(予測・妄想の単語だけじゃないの)
そんな忙しくてブログ書いてる暇あるの?
はい。これも大切な作業なんです(本当か?)。。。